新たな日課
朝、窓開けて仏壇のある部屋を換気。ご飯とお水を供え、お供えしているお花の手入れをする。そして、チーン、とおりんを叩き、
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」と唱える。
一年前に実家の仏壇を我が家に迎え入れた。父が他界して母が居宅を変えたため、空家状態になっているのに、仏壇はそのまま。ご先祖様をほうったらかしの状況が約4年、なんとなく落ち着かない気持ちを抱えながら、いつか仏壇の移転をしなければと思い続けていたが、やっと実現した。今、率直に思うのが、あぁ、よかった、、、、
お迎えまでの準備
ここに来るまで、ぐちゃぐちゃな部屋から相当量のいらないものを一掃した。廃棄したのは、こたつ・楽器・来客用の布団・座布団・スポーツ器具(ブルブルするやつ)・棚などなど。たくさん処分したら、家の空気が変わった。そして、あることが今まで以上に明確になった。それは、本当に必要なものは何か、ということ。大事なものだけが残り、大事である物事を意識できるようになった。
ご先祖さまのおかげ
実は、子孫として残っているのが、実質母と私だけ。ということは、私がいなくなる時には、この姓を持つ一族(うちは分家みたいだけど)はなくなる。知る限りの歴史を辿ると、父の家族は満州に移住し、祖父は現地の学校の校長先生だったそうだ。そして父には、弟と妹がいて、戦時中に満州から引き揚げる時に亡くなり、祖父はシベリアで抑留されて亡くなった。祖父の遺骨はない。でも、父は、祖父、祖母、妹弟を弔うために自分の墓を作った。詳しい話は結局父から聞くことはできなかった。ただ、母から聞く限りのことだが、生き抜くために相当な厳しい生活をしてきたらしい。本当は、もっときちんと話を聞いておきたかったけれど、実現しなかった。これは本当に今でも無念に思っている。
今いる自分はご先祖様のおかげ、と思うようになったのは、本当にごく最近のこと。若い時には考えたこともなかった、、仏壇が家にあるのに手を合わせるのは正月くらいだった。そんな自分を今本当に悔やむ。そして、今、毎朝の新たな習慣ができた。
お迎えしてから
この習慣が始まり、一年が経った。ご飯は仏壇用に冷凍したものを使ったり、お線香は集合住宅なので炊かない、お花はきらした時のために造花も備えておく、などなど。母が毎日していたことからはかなり簡便化しているのだが、今風ということで勝手に許しをもらっている。しかも、休日はよくこの日課を怠けることがある。そんな時はちょっと罪悪感を感じる。
仏様がうちに越してきて、一番感じるのは、常に見守られている感覚と自分を律する感覚だ。今日も、おりんを鳴らして、「よろしくお願いします」という。何か1日過ごすパワーを授かった気分になる。


