きっかけ
最近、自分の人生を考える機会が多くなった。両親の老後の様子を見て、人は誰しも終わりが来るのだ、と当たり前のことなのだが、改めて実感したからだ。自分は?はて、どうする?と思ったのだ。心の中を一度すっきりさせて、自分と向き合ってみたいなと思うようになった。そんな時に、ふと思い出す。数年前、NHKのドキュメント72時間で取り上げられていた写経の場を提供しているお寺が都内にあったなと。当時、都内の賑やかな都市部に写経をしにくる人たちがこんなにいるのだな、、と印象的だった。いつか、自分も心静かにここで写経してみたいなと考えていた。調べてみると、薬師寺東京別院というお寺だった。毎日開館していて写経を奉納することができ、その奉納したお経は奈良の薬師寺に永遠に奉納されるとのこと。なんだか、ありがたいな、、という気持ちになり、今回、訪問してみることにした。
訪問
開門時間が9時半とあったので、どうせなら朝一番に訪ねて、奉納しようかしら、、と朝活としての写経体験を目指し、家を出た。お寺の最寄りの駅からは徒歩10分弱。途中、緑の多い公園の中の坂道を登っていくのだが、これから異空間に行くのだな、、なんて少しワクワクしながら歩みを進める。その坂を上り切ると、そこは都内の住宅地。戸建ての家やマンションの建物と同じならびにひっそりと存在していて、最初そこがお寺だとは気づかなかった。でも扉の中に入ると、お寺の空間が広がる。自然豊かな中庭や仏像が何体か鎮座するお堂があり、厳かな空間だった。静かで広々としてお堂が見えた。まずは、荷物をロッカーに預け、初めてだと伝えると、お寺の方から写経についての説明をいろいろと受けた。
実践
いよいよ写経する御堂の中に入る。お清めのための、入口にある象の形をした香爐をまたぎ、座席につく。不注意に声を発しないように口に丁字を咥え、合掌をして印字されている言葉をここの中で唱えて写経開始。お手本の上に半紙を置き、筆でなぞって書くというものだった。まずは、墨をすって墨汁を作る。この作業は小学生の頃通った書道教室以来で、懐かしかった。この墨の香り、好きだったことを思い出す。少量の水で始めるように説明を受けていたので、多く水が出ないように慎重に注ぎ入れ、静かに墨をする。この作業自体が瞑想に近い。焦ってはダメ。ひたすら同じスピードで円を描くようにスリスリ、スリスリ、墨を動かす。徐々に墨の香りがしてくる。そしてその墨汁が少しとろみが出た感じに見えてくる。そろそろかな、、と試し書きをしてみる。滲まずに黒い墨色になった。さて、書き始めるとするか。
一回に筆に墨を含ませる量で一文字が書けるか描けないか、、この加減が私には難しかった。何度かやっていく中で少しずつこつを得た。たっぷり筆に墨汁を含ませて、力を入れずに先っぽで書くのが一番持ちがよく字の形が安定した。でもこの感覚を体得できたと思う頃には、すでに後半の後半に差し掛かっていた。また画数の多い字は、筆で書くには難しく団子のようなシミになってしまうし、画数の少ない字は形のバランスが難しかった。「無」という漢字は20個くらい出現したと思うのだが、自分なりに上手く書けたなと思えるのはたった1文字のみ。少しでも余計なことが頭をよぎると文字はぐらつく。無心になるのは難しい。
2時間ほど文字と格闘し、なんとか完成した。最後に、自分の名前と願い事を書いた。改めて紙を眺める。不恰好な字の集合体なのだが、集合するとそれなりの書になんとなくだが、見える。不思議なものだ。そして沸々と達成感を感じられ、充実感を味わった。部屋の正面の像の前のお香の煙を纏わせてから奉納した。
部屋を出て、周囲の掲示物を眺めていると女性の僧侶の方から「お勤めをこれからしますので、よかったらぜひどうぞ」と勧められ、折角なので参加させていただく。書を書いてから改めてその同じお経を読無ことになった。般若心経をこんなに真面目に唱えたのは初めてかもしれない。親戚のお葬式ではお坊さんが多分唱えていたと思うが、ただただ聞いていただけだったから。そしてお勤めの中で、昨日納められたお経の巻数を報告されていた。私が今日奉納したお経もきっと明日、ここで報告されるのだろう。ここに奉納したお経は奈良の薬師寺に永遠に収められるとのこと。なんか、ありがたい。

後日届いた参拝券。永代に写経が安置されるという蔵の写真(右上)に驚く。
終えてみて
全てが終了し、お寺をあとにしたが、もっと綺麗な文字で奉納したいし、また無心で何かに取り組んだ時間が心地よく、また来たいと思った。奉納するお経の巻数が増えるたびに御朱印をいただけるようになるとのこと。自分のメンタルの状態を自覚するためにも、定期的に通ってみようかなと思う。
お寺、神社はこれまでお参りやお祓い、ご祈祷することしかなかったが、中で作業をするというのはなかなか清々しい気持ちになれることを知った。

